一貫した好み
旦那さんの実家で見つけた、ソーサー付きのデミタスカップ。斑点のついた柄に黒が塗られたカップは、クラフト感と黒によるキリッとした印象が合わさっています。ひと目見るなり「いいな」と思い、譲り受けて家で使っています。ある日、Instagramで、そのカップに似た雰囲気の、大きなカップに目に止まりました。作家は伊藤環さん。デミタスカップと同じく斑点の柄に焦げ茶色が塗られていています。自分のことながら、なかなか好みが一貫しているなと思いました。直感的に欲しい!という欲望が湧きましたが、Food for Thought 上原店 で行われる伊藤環さんの個展の日はあいにく、出張です。それならばと、旦那さんにお願いをして代わりに買ってきてもらうことになりました。
クラフトと機械の間のような「1+0 pottery」シリーズ
そのマグカップの作家は伊藤環さんでした。伊藤さんのマグカップは使ったことがあります。淀屋橋のコホロでお茶をした際、伊藤さんの「1+0 pottery」のカップが使用されていて、友人がそのカップを片手にコーヒーを飲む姿が残像として残っていました。クリーム色のような色味といい、形といい、なんだかとても雰囲気の良いカップです。人の手で作られていながら機械で作ったような精巧さがあり、カップ同士がスタッキングができる機能性もいいなと思い、後々ネットで購入しました。とても気に入っていたのですが、テレワーク時に、手が触れた弾みで机から落としてしまい、木っ端微塵に。泣く泣く処分をしました。
新しい表現へ。「キュノワール」シリーズ
今回、目に止まった伊藤さんのカップは「キュノワール」というもので、フランスで古くから愛された民芸に着想を得て、そこに伊藤さんの再解釈が加わったものです。キュは「お尻」ノワールは「黒」という意味があり、キュノワールにはいろんな形の器があるそうです。キュノワールには、民芸品らしい、作り込まれすぎていない素朴さがあります。必要に応じて作ったらこの形になった、そんな自然さです。「1+0 pottery」シリーズと比べると、同じ作家さんが作ったとは思えない表現の幅広さを感じます。経験に基づいた技術や理論が昇華して、軽やかに。新しい領域に足を踏み入れられた、そんな印象を受けます。
使いやすいデザイン、表情の豊かさにみる伊藤さんの最解釈
細かいところに目を向けると、取っ手の外側はぷっくりとしていますが、内側はスッキリと削られています。持つと納得、すっと手に馴染みます。朴訥した雰囲気の中にも「1+0potterty」シリーズに繋がる機能性があります。さらに、200mlほど入る、この容量がとてもよく、コーヒーが冷めないけれどたっぷり飲めるため、手に取る回数が増えます。カップの柄に目を向けると、青みかがった白い釉が透明になって、淡い橙から焦げ茶へと深まっていき、複雑な色合いがひとつのカップの中に存在しています。ここにも、伊藤さんならではの、細やかな色の表現を感じます。ただのフランスの民芸品ではない。伊藤さんの経験や感覚を持ってアップデートされた、キュノワールです。