私的な内容が誰かに届く言葉になる
以前、とある場所で自分史を公開したさい、共感という思わぬ反響がありました。自分のために書いた私的な内容で、誰かが反応をくれるとは露にも思っていなかったため、嬉しいサプライズでした。その経験から「いつ、どんな状況のとき、誰のどんな言葉に影響を受けたのか」についてまとめ、自分史なるものを書いてみようと思いました。もしかすると、思い出したときに、むず痒くなったり、感情がヒリヒリするところまで掘り起こした言葉というのは、万人共通に流れる地下水のようなところまで到達するのかも知れません。
言葉を抱いて生きている
人はどこに入学した、どこに就職したという履歴書に書く内容ではなく、出会った人にかけてもらった言葉によってその人がかたち作られていくのではないでしょうか。また、子が愛情を受けて育つように、家で明日の英気を養うように、人は何かに「抱かれる」ことも必要なのではないでしょうか。わたしは人生の節目で、大切な言葉を受け取り、それを抱くことで少し強くなれたから、言葉を探す・お守りにすることを辞めなかったのだと思います。
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